また猫の話になって申し訳ないなと思いながら 我が家には犬より人間より猫が多く、猫とは何とも意味深く面白い生き物で私の師でもあるので猫の話を続けてみたい。
人間は言葉を持っているがゆえに、自分で自分を肯定もでき否定にも評価できる生き物だと思う。しかし猫を見ているとどうせなら肯定的でいた方が内から沸く魅力が増すのだと感じた。
肯定的な考えと否定的な考え
例えば 「私なんてどうせ努力したって無駄だから」とか「私なんかあの人には到底敵わない」とか、「君は彼には敵わないよ」と自分で自分の価値を落としてみたり、他人が評価をすることを鵜吞みにし、でたらめ情報を自分に刷りこんでいないだろうか?もし昨日までが、自分が思う他人が言うダメな人間だったとしよう。だが今日が昨日より自分に価値あることを1ミクロンでも見つけたなら貴方はダメな人間でもなければ価値の低い人間でもない。「1ミクロン?そんなの時間がかかりすぎだよ」と言うかもしれないがそれでも大丈夫です。
綺麗に掃除したはずの部屋に次の日は何故か埃がたまる。綺麗に吹いたはずのテレビ台にうっすらと白いツブツブとなって私達の目にとまるあの埃は私達が持ち込んだ目に見えない空中に浮遊する特に細かい繊維だ。それが浮遊する者同士くっつきあい落ちて部屋の隅で綿埃となるわけだが。いくら掃除をしたところでまた埃はやってくる。私が言いたいのは埃さえ積み重ねることがでるわけだから私達にできないことはないと言う事だ。例えが悪いかもしれないがこれは否定でも肯定でも同じことだ。
人の評価の基準は?
「他人の評価などそれほど当てにはならないから、自分を否定する考えなどさっさとお捨てなさい。貴方の一番の理解者は貴方であって、貴方を産み育ててくれた親でも喜びや悲しみを共有してくれる友でも恋人でも誰でもない。あなた自身の考え方なのです。」と猫たちがいつも言っています。
そのんな彼らは、生まれて数か月で親離れの時期を迎え一人で生きていく準備をし、沢山の出会いを求め旅に出ます。誰と出会い、どんな困難が待ち受けようが、自分や他者の毛の色や目の色がどうとか、野良猫のままだろうが家猫になったとか関係なく、目が見えなくなっても生まれながらの障害を持っていても痛みを抱えながら苦難を乗り越え、生きる事を冒険とし心から望むものだけを受け入れ猫生を生きているようです。
それでは、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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